しゅばのご機嫌

ご機嫌良かったり、悪かったり

運命は決まってる?

こんな波乱万丈な人生を送っていると

ふと

「あの時 ああすれば こんなことにはならなかったのかも」と

山盛りの後悔に苛まされる時があります。

 

人生 何回か 分岐点を通過する時がありますよね。

乗り換えを間違えると

目的地とは全く違う所が終着駅になるみたいな。

 

どの学校に行くか

どんな仕事をするか

結婚・出産・・・等々

 

でも親は選べない。

そもそも 産声をあげた瞬間から

私の人生の大半が決まっていたような。

 

いやいや 運命は 努力で変えられる。

たとえ決まっていたとしても

途中で何度でも変えることができるんだ!!!

 

そう 信じて生きてきたけれど

どうな人生を送っても

最後は 皆 寿命が尽きる。

介護をして得た答えは

たとえ運命が変えられなかったとしても

「これでいいのだ」と思えるようになったこと。

 

そのことを決定つけた小さなできごとが

最近 ありました。

 

それは 1か月ほど前。

1本の電話からでした。

高校時代の部活の〇野先輩から。

何十年ぶり?

なんでも ウチの近所の区の施設

ふるさと館で

部活の顧問だった先生がボランティアで土曜日だけ来ている

ということ。

みんなで会いに行こうよ って話でした。

 

もう 自分にJK時代があったことすら

思い出せないくらいの昔の話。

そこから 当時の昔話に花が咲き、

忘れていた過去の記憶が 無理やり 掘り起こされた感じで

電話を切ったあと、なんだか、胃酸が逆流してくるような不快感。

 

当時、OBとして部活に参加してくれていた先輩とお付き合いを始めました。

その先輩と同じ大学へ進んだ後、とある事情で海外へ行くことになりました。

2年間という契約でしたが、結局3年近く遠距離恋愛を続けておりました。

当時はエアメールかたまの国際電話(めちゃくちゃ通話料が高い)しか通信の手段が無い中

彼は私のことを待っていてくれました。

私は まだ 結婚を考えるほど実感がなく

まぁ 流れに任せよう と 軽い気持ちでした。

 

紆余曲折ありまして(おいおい書いていけたら良いかな・・・)

帰国後 1年ほどして 母の紹介で知り合った夫と結婚したのです。

そのことを 部活の先輩はとても恨んでいたそうで。

とある後輩に逐次 話していたそうです。

それを 某週刊誌のコラムで執筆をしてい活動をしていたその後輩が

書き綴っていたところ 大バズリして 有名な小説家になったとか。

電話してきた○○先輩曰く

あの頃 日本国中の読者が 私のことを 薄情な性悪女として軽蔑していたらしい。

きっと今でもそう思っている人が何人かは居るんだろうね。

 

その話しにムカついた後に トドメが刺された。

「男の子と女の子の子供がいてさ。 二人とも 東大卒業したんだよ、さすがだよね」

え?

思わず 東大って 東京大学?と聞き直してしまいました。

そっか・・・

「あ~ 私と結婚したら 子ども二人ともを東大へ合格させることなんてできなかったわ。結果的に私と結婚しなくて良かったってことよね。」

というと

○○先輩 間髪入れずに

「僕もそう思う。みんなそう思っていると思う」って。

みんなって 誰と誰よ!とツッコミたかったけど。

 

電話を切った後の私の複雑な気持ち

どうか 察してくだされ。

 

その話を妹や子供たちにすると

「すごいね」と 想像していたより あっさりとスルー。

 

だよね。

そんなこと 聞かされてもね。

だから なんなの?ってことだよね。

瞬間、つきものが落ちたような爽快感。

夫を選んで良かったのよ。

彼も私と結婚しなくて良かったのよ。

あの選択が合ってたとか間違っていたとかじゃなくて

「これでいいのよ」 と。

夫が難病を発症した時

「この結婚は間違っていたのか、私が夫を追い詰めたのか」等々

さまざまな思いに悩まされましたが、

なんか、

妙に、

これが運命というものなら

後悔しても、泣いても、騒いでも 結果が同じなら

これでいいのだ

 

という私なりの結論!