しゅばのご機嫌

ご機嫌良かったり、悪かったり

少し理解できる



こんなに 人生を真っ向から否定されると

それも我が子から・・

他人なら 別に 笑って二度と会わなければすむのことだけど

我が子となると

そうは簡単に 二度と会わない ということにはならないし。

明日 また 撮影で娘は来るのだろうけれど

過呼吸になるほど しんどい。

考えるとと 心臓がバコバコしてしまうし。

命の母 とか飲むといいのかなぁ。

 

昨日

高校の部活の同期からメールがきて

久しぶりに同期会をしませんか とお誘いがきた。

いいね。

といっても4人だけど

何十年ぶりにいいかもね。

 

今 気持ち的には どん底だけど

みんなはきっと幸せなんだろうけど。

だいたい同窓会とかそういうのの発起人って

今 人生の余裕がある人よね。

 

きっといつものように 元気な笑顔で

私も幸せを演じるのだと思うわ。

もう 生きていても辛いだけだわ

と 心の底では思いながら・・・

そうね

本当に辛い人は

辛さを周りに匂わせたり 話したり

相談したりなんてできないのだと思うわ。

誰に何を話してもこの気持ちは理解してもらえない。

もう これ以上 絶望感を感じたくない。

そう心を閉ざしてしまったら最後

きっと周囲には何も話さないのだと思う。

遺書を残さないのも

きっと 文章にしたところで

やっぱり理解してもらえない という気持ちか

もっと追い詰められて

文章を書く気力も残されていないのかも・・・・

 

といいながら

周囲には 笑顔を向ける余裕があるの?と問われると

そうする以外に最後 自分を守る手段がなくなるからだと思う。

笑っていれば 周囲は攻撃してこないから。

少なくとも これ以上 傷つくことはないだろうと

精一杯の防御なのかと。

 

でも

何かの拍子で

絶望感がフラッシュバックすると

突然 恐れもなく自分の手でなにもかもを終わらせてしまうのかも・・・・

 

なんとなく 

そんなことを思うのよねぇ・・・

 

「だって この間 会った時 元気そうだったのよ。

どうして 相談してくれなかったのかしら。

相談してくれたら 止めることができたのかもしれないわ。」

 

って

友人や家族は自分を責めるかもしれないけれど

それは 違うのだと思う。

それは・・・ある種の 正常な人間の傲慢かも。

あ~ でも逆に 我が子が苦しんでいたとしたら

やはり親は自分を責めるわよね。

 

私は 今、絶望の中にいるけれど

いつか 必ず死ぬのだから

お迎えが来るのだとしたら

その日まで 生きていこうと思っているわ。

孤独でも 寂しくても 悲しくても

どうしようもなくても

生きていこうと思うわ。

 

花や木や空や雲や風や・・・

写し撮りながら

小さな幸せを見つけていくわ。

 

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今日の写真は

暗闇の中でライトアップされたダリア。

自然の光ではない色も好きかも。

ISOオートで25400? このカメラのMAXで

ノイズ出まくり。

でも 私 このノイズも嫌いじゃないのよねぇ・・・

やっぱり 変わり者だわ。